2019年08月24日

かつては日本を変えたいと思っていた1

自分が子どもに会えないだけでなく、概ね、多くの別居親は子どもに会わせてもらえていない。

裁判所に子どもに会わせてほしいと申立てても、統計上、裁判所が認めるのは4人に1人である。

しかも、その統計には、子どもの写真の送付という茶番を含めている。

つまり、子供の写真を見るってことは、子どもに会えているという解釈になっている。

まあ、送られてくる写真は、子どもが米粒のように小さい写真だったり、子どもの後姿だったり、明らかに他所の子だったり、、(笑)

何でもありのギャグの世界なのだが、裁判所では、そんなレベルの仕事しかできていない。

色々な役所が腐っている日本の中でも、裁判所は筆頭である。


日本では、親が子どもに会う権利というものが事実上、認められていない。

先進国の中で、日本だけがそうなのだ。

日本には、お家制度というものが昔からあって、親権という概念が根強く残っている。

アメリカでは、随分と昔に共同親権になったし、フランスでは、同居親が別居親に子どもを会せないという行為は犯罪との位置づけだ。

日本での煽り運転は、その程度によっては犯罪かどうかのラインが微妙だとTVで専門家が言うのだが、

よその国では、同居親が別居親に子どもを会せないことが犯罪であると明確にしている。


世界的にみても、発達心理学といった分野の研究でも、片親に会えない子どもは子の福祉にならないとされており、

同居親による子どもを片親に会さない行為は、虐待の一部であると位置づけられている。


そんな、虐待とか犯罪を容認しているのが日本の裁判所で、その裁判官達は、実は全然、子どもの福祉なんて考えない人間なのである。

所詮、他人ごとといった態度なのだ。

ボクも、今までずっと、子の福祉について世界ではどういう考えなのか、たくさんの資料を取り寄せ、子どもとってよりよいことは何かを裁判官に理解させるために裁判所にそれを提出してきた。

しかし、やる気のない裁判官は、英語の資料は受け付けないという。

だから、ボクは必死に、和訳して提出した。

ボクは英語が得意なわけでもなく、何年もの月日をかけて和訳したのに、裁判官はその資料を全く読まなかった。

めんどくさかったらしい。

読む必要がないのは、結論ありきだからだ。

裁判官は出世するためには、過去の判例をキープしなくてはならない。

今まで、全国の裁判所において、子供に会えない親は会えないままにするということが子の福祉であると言ってきたのだから、それを覆してしまうと出世できないのだという。

裁判所の人間や、裁判官なんて所詮そんなものなのだ。本当に腐っている。

何よりも保身が大事だし、他所の子の福祉なんて、とても考えたりできる人間ではなかったのだ。

そして、ボクは日本の家庭裁判所は機能していないし、とてつもなく無能であることを理解した。

もう、存在している意味がないのである。

そんな裁判官が、子の福祉、なんて言葉を軽々しく使うと、それこそ、煽り運転の人間がヒートアップしているような怒りがこみあげてきて

正常にはいられなくなる。

もし、自身が死を覚悟したとき、この裁判官たちを決して許すことはできない、と、そう思って生きている。

posted by ぬこ at 21:11| 北京 | Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする