これだけ歳を重ねると、将来って、もう何もないよね。
ボクは、とくに、人生を失敗してしまったから、ホント、何もない。
楽しみとか、安心とか、安らぎとか、人生にはあったほうがいい。
それと、お金もあったほうがいい。
将来、別居の子供が会いにくる。そんな夢物語を、裁判所で嫌という程聞かされたけど、
本当に、子供が会いに来たら、例えば、それが結婚するときとかだったら、お祝い金の一つくらい
手渡したい。
来るかどうかわからない、そんな時のためのお金ってとっておかないといけない。
今まで何もしてあげれなかったからと、10万、20万、いや100万くらい渡してあげたいよね。。
400万程しかない人間が言うことではないけど。。。
今、裁判所で係争中の事件をいくつか抱えているけど、本当は、子どもには会えないと確信している。
なのに、何故、裁判所に通い続けているのかといえば、相手に対しての嫌がらせという部分は大きいだろう。。。
養育費を欠くことなく得ているのに、父親と子どもは会わせたくないっていう、子の福祉を無視したわがままを
簡単に許すわけにはいかない。
何より、書面で批判しつづける、そんな最低な人間を子どもの父親にした責任はあるのだから。
そんなわけで、子どもには会わせてもらえないのはわかっているものの、相手をこの先、何年も、いや十何年も裁判所と繋げることが
無責任さを非難しつづけることが、生きがいなのかもしれない。
本当はしんどいし、解放されたいけど、子供にとって両親が争い続けるのってよくないことだとわかっているけど、
裁判所で争うことが生きがいになってしまったら、どうしようもないよね。